開業社労士への道のり②
夫の仕事の関係で、地縁・血縁の全くない土地に転居し、慣れない育児に孤軍奮闘していた頃、手っ取り早く社会とつながる方法として仕事を探すことにしました。
見つかった仕事は、介護サービス情報公表制度の調査員。その年から介護サービス情報公表制度が開始することになり、私のように介護業界未経験者でも研修を受けることで調査員になることができました。
「資格や経験は不要。子育て中の方でも、サポートがあるので安心して働けます」という謳い文句を信じて応募したところ、確かに子供の体調不良で急に仕事を休むことになっても、代わりの人にバトンタッチすることが可能で、小さい子供がいても働くことができる職場でした。
介護業界は未知なる領域でしたが、一緒に調査に周る調査員は看護師や介護士の経験があるケアマネさんがほとんどだったし、当時は書類を作成していれば内容のチェックまでは行わないので、専門知識がなくて困るということはありませんでした。
この調査員の仕事をしたことで、介護事業所にはどのようなものがあるかを知ることができましたし、様々な事業所を訪問することができましたので、その後両親の介護施設を探す際にも参考になりました。
ただ、介護サービス情報公表制度は都道府県ごとに実施されるため、調査員は県内各地の介護事業所を周らなければならず、北は福岡市から南は県境にある大牟田市まで車で移動するような仕事で、いったん仕事に出てしまうと、終わりが見えないときもあって、急に保育園のお迎えを夫に頼んだり、その後の夕食の支度までお願いするような日々でした。
どんな仕事でも100%自分の希望に合うということは難しいと思いますが、あらかじめシフトを決められるから家族旅行等の予定もいれやすいというメリットがありつつも、長く働き続けるにはもう少し働く時間が安定している方が良いかなと思うようになっていきました。
結局、調査員の仕事は2年続けたところで辞めることにして、その仕事と平行して知り合いから紹介されたNPO法人の仕事をすることになりました。
NPO法人では、事務局スタッフ兼経理責任者として、様々な活動を支える縁の下の力持ち的な業務を行っていました。福岡県や経済産業省からの委託事業を請け負ったり、国土交通省から補助金をもらって、学生から退職後のシニアの方までが参加したインターネット放送局も運営していました。
いまのように誰もがYoutuberとなって動画配信するような時代ではなかった頃に、お昼の1時間ではありましたが、月~金曜日まで生放送で配信していました。インターネットであれば、地域の話題を全世界にお届けできるということで、商店街のお店を紹介したり、地域で活動する個人や団体をゲストにお招きしてお話を伺ったりと、パーソナリティとして活躍するメンバーと共に日々楽しく活動していました。