開業社労士への道のり③

知り合いに紹介されたNPO法人では、必要に応じて出社する日があるものの、育児と両立させるためにほとんどの業務を在宅でさせてもらえました。

そのおかげで4年程勤務することができましたが、子供が小学生になることもあって、もう少し本格的に仕事に取組みたいという気持ちが芽生え、新たな仕事を探すことにしました。

これまでのキャリアのほとんどが事務職だったこともあり、再就職にあたってもできる限り事務職でと思っていましたが、勤務日数や勤務時間が長い仕事が多く、子供が小学生になるとはいえ低学年のうちはまだまだ手がかかるので、そこが悩みの種でした。

そんな中、自宅から自転車で15分程の距離にある事業所にパートで採用され、仕事と家事・育児を両立させる生活が始まりました。しかし、念願の事務職で再スタートを果たし、順調にキャリアを築いていけると思っていた私に降りかかってきたのが、子供の不登校と母の介護でした。

私が「ダイバーシティ」とか「多様性」というワードに反応するようになったのは、子供の不登校がきっかけです。

文部科学省によると、2021年度に不登校が理由で小中学校を30日以上欠席した児童生徒は24万4940人で、過去最多を更新したそうです。全体の児童生徒に占める割合は、小学校で1.3%、中学校で5.0%。小学生で100人に1人、中学生で20人に1人。

この数字は、私の実感にも一致しています。確かに、子供が小学生の頃は、学年に1人いるかいないかで、中学生の頃はクラスに数人でした。

中学校の卒業式は、全体で行う式に出られない生徒のために、午後の部として、校舎の一角に会場を作っていただき、保護者も同席する形で、校長先生から卒業証書をもらうことができました。ですので、自分たちだけという孤立感はそこまで感じませんでした。

でも、小学校の卒業式は、みんながいる体育館の二階で、私達親子だけひっそりと参加。その後、校長室で個別に卒業証書を手渡されましたので、『自分たちはマイノリティなのだ』ということをひしひしと感じていました。

当時、本人が何を思っていたのか、そもそも当時の記憶が残っているのかさえも、詳しいことはあまり語ってくれないのでわかりません。

ただ、子供に寄り添う中で、みんながいる教室入れず、教育の機会を奪われてしまう子供たちがいることを知りました。また、学校に行けないことで外に出ることも出来ず、家の中に引きこもらざるを得ない状況であることも、理解できるようになりました。

その上で、マイノリティとして生きることが、どれだけ不安で辛いことなのか。苦しんでいるのは子供たちだけではなく、社会におけるマイノリティ、女性・外国人・高齢者・障害者の方々も、ハンディキャップを背負いながら働いている。それらのことにも気づくことが出来たと思います。

企業にとっては、残業や転勤も厭わず働ける人材の方がありがたいでしょうし、高度経済成長期の日本には、そうした人材が数多く存在していました。

しかし、少子高齢化が進む中で、今後増々労働力は不足していきます。企業競争力の強化を図るために、多様な人材を受け入れて行かなければ、生き残れない時代になってきているのです。

モノやサービスが溢れ、人々の嗜好や考え方も多様化し、同質性を持った人々が開発し大量生産された商品は、昔ほど売れなくなくなっています。多様化した消費者に提供するモノやサービスは、多様性のある人材なくして開発できないのではないでしょうか。

そんな、ダイバーシティ・マネジメントに関わっていくために、社労士の資格を取得し、活動していければと思うようになっていきました。